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春のプレート~第3回~

春のプレート、の3回目。
前回までの記事はこちらをご覧ください。

・春のプレート~第1回~
・春のプレート~第2回~

5番目のお嬢さんは安土桃山時代。

安土桃山時代

信長と秀吉が中央政権を握っていた時代。
よくドラマにもなっているのである意味見慣れた(?)お装束。
なんといっても小袖の完成だ。
「小袖」とは袖が小さいのではなく
袖口が小さいということ。
今わたくし達が知っている着物はこのスタイルだが
平安貴族の着物は袖巾イコール袖口巾。
袂(たもと)に物を入れたら全部落ちる(笑)
ちなみに平安時代には白の小袖は下着として着られていて
平安後期くらいから小袖を上着として着始めたが
肌着と間違われないように色や柄をつけ
(カラーTシャツみたいなものだろうか?)
様々な形の変遷を経て完成の域に達したのが
安土桃山時代頃、とされている。
現在の着物の原型と言ってもよいだろう。

しかし個人的には、この頃の小袖スタイルなら
現代人はもっと気軽に着物を着ることができたのでは、と思う。
おはしょりないし、帯だって細くて締めるの簡単だったろうし。
ただ、おはしょりがないということは
きっちり自分サイズに合わせて作らなければいけないわけで
・・・どっちもどっちかなあ。

ところで髪形、鬢(びん)そぎにご注目。
「姫カット」と言った方がピンと来るかもしれない。
耳の脇の髪を1段、あるいは2段短くしてあるこれが鬢(びん)そぎ。
平安時代の公家社会では鬢(びん)そぎは
既婚女性、または婚約者のある未婚女性に限られていたそうだ。

これが安土桃山時代にもなると鬢(びん)そぎに
未婚既婚の区別という目的はだんだんなくなっていったそう。
ただ、この短い髪が揺れるさまが美しいという美意識があったそうで
今で言えばロングピアスの様なものだろうか(笑)

6番目のお嬢さんは江戸時代。

江戸時代

江戸時代、と言っても長いので
どこを拾うかで実は全然変わってしまうのだが
黒掛け襟が流行したのは江戸後期だそうなので多分その頃(笑)
本来の黒掛け襟は着物に髪の油などがつかないようにと掛けられたそう。
あくまでも日常着に使われ、外出着などには付けなかったようだ。
後に贅沢を制限する奢侈禁止令が出ると
庶民は派手な服装を禁じられるようになったが
黒掛け襟の習慣をうまく利用したのだそう。
つまり、外出着に黒掛け襟をすることで

「これは日常着ですが何か?」

と主張することになり、着用OKだったらしいのだ。
・・・結構いい加減だなあ(笑)
ま、羽振りの良い商家のお嬢さん、というところだろうか。

振袖が今の長さに近くなったのも江戸後期だそうだ。
生活が豊かになった庶民の目が文化に向かい
裕福な家では娘に舞踊を習わせる習慣が出来たが
その際袖が長い方が所作が優雅に見えたから、と言う説もあるそうだ。

7番目のお嬢さんは、大正時代。

大正時代

大正時代の女学生、はいからさんスタイルだ。
髪を大きなリボンで束ねて上部、左右を膨らませ
後ろに垂らした束髪くずしという独特のスタイル。
(今風に言うと、変形のハーフアップ、だろうか)
この頃、三つ編みのおさげも一般的だったそうだ。
ちなみにわたくしが通っていた高校、当時の校則では
肩より長い髪は三つ編みにすることになっていたが
大正時代の名残?(笑)
矢絣(やがすり)の着物にはかま、編み上げブーツって
なんとも可愛いんだよなあ。
今も卒業式にこのスタイルのお嬢さんが多いのはよくわかる。

それでは続きはまた次回!

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